群馬県立土屋文明記念文学館


2階和室床の間の俳句色紙について(2012/01/22(2012/10/06改))


2階和室床の間の俳句色紙について(2012/01/22(2012/10/06改))

~季節に合わせて月ごとに12枚あります~

   國定青陽氏(1967~、群馬県立中之条高校書道部顧問(平成21年時点))書


 文学には様々な鑑賞の仕方があります。和室の床の間に掛けた軸や色紙を見るというのも、その一つです。県立文学館の2階にある和室の床の間には、季節に合わせた俳句の色紙が掛けられています。
 ここではその内容を簡単にご紹介します。ボランティアによる茶席体験などにご参加いただければ、実際にご覧になることができます。


1月   元日や手を洗ひをる夕ごころ     芥川龍之介
      がんじつや てをあらいおる ゆうごころ     季語「元日」新年
大正10年(1921)作。死後に香典返しとして編まれた『澄江堂句集』(全77句)に収録。龍之介は生涯に1,200句を詠み、「余技は発句の外に何もない」と述べた。
〈参考〉『芥川竜之介俳句集』(2010年、岩波文庫)など。
芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、明治25年(1892)3月1日~昭和2年(1927)7月24日)
 現在の東京都中央区明石町生まれ。『羅生門』『鼻』『地獄変』などで知られる小説家。号に「澄江堂主人」、俳号に「我鬼」など。明治43年(1910)に入学した第一高等学校では、前年入学して留年した土屋文明と同学年となった。


2月   梅が香にのつと日の出る山路かな     松尾芭蕉
      うめがかに のっとひのでる やまじかな     季語「梅」春
元禄7年(1694.1.25-1695.2.12)の春、最晩年の作。連句を集めた「芭蕉七部集」の最後を飾る『炭俵(すみだわら)』所収(志太野坡(しだ やば、蕉門十哲の一人)・小泉孤屋・池田利牛(三人とも江戸の呉服商越後屋の手代)共編)。芭蕉が晩年に主張した「軽み」が現れた代表句。
〈参考〉『芭蕉七部集』(1966年、岩波文庫)(入手困難)、村松友次『対話の文芸 芭蕉連句鑑賞』(2004年、大修館書店)、『芭蕉俳句集』(1970年、岩波文庫)・『芭蕉連句集』(1975年、岩波文庫)(ともに本句は収録せず)など多数。
松尾芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(1644.2.8-)~元禄7年10月12日(1694.11.28))
 現在の三重県伊賀市出身の俳諧師。俳句(当時の呼び方では発句(ほっく))を交えた紀行文『おくのほそ道』などで特に著名。俳聖(はいせい)と呼ばれる。


3月   早蕨は愛しむゆゑに手折らざる     富安風生
      さわらびは いとしむゆえに たおらざる     季語「早蕨」春
〈参考〉『自選自解 富安風生句集(現代の俳句7)』(1969年、白凰社)(入手困難、本句は収録せず)など。
富安風生(とみやす ふうせい、明治18年(1885)4月16日~昭和54年(1979)2月22日)
 現在の愛知県豊川市出身の俳人。東京帝大在学中に「帝大俳句会」を結成した一人。卒業後逓信省に入省し逓信次官にまでなったが1937(昭和12)年辞職。句作に集中する中、昭和15年(1940)夏には四万温泉山口館に、1942(昭和17)年夏には伊香保の橋本ホテルに長く逗留。この年5月には日本文学報国会が結成され、その俳句部の幹事長となっていた。「ホトトギス」会員。「若葉」主宰。昭和45年(1971)、日本芸術院賞。日本芸術院会員。


4月   白木蓮の散るべく風にさからへる     中村汀女
      はくれんの ちるべくかぜに さからえる     季語「木蓮」春
句作を再開した三十代前半、横浜西戸部の丘の上にあった税関宿舎に夫妻で住んでいたころ、近くの野毛山公園などを詠んだ中の一句。『春雪』所収。
〈参考〉『自選自解 中村汀女句集(現代の俳句6)』(1969年、白凰社)(入手困難)など。
中村汀女(なかむら ていじょ、明治33年(1900)4月11日~昭和63年(1988)9月20日)
 現在の熊本市出身の俳人。昭和9年(1934)に「ホトトギス」同人となった。4人の有力な女性俳人・汀女、星野立子、橋本多佳子、三橋鷹女は四Tと呼ばれた。「風花」主宰。昭和55年(1980)、文化功労者。


5月   白牡丹といふといへども紅ほのか     高浜虚子
      はくぼたん というといえども こうほのか     季語「牡丹」夏
大正14年(1925)5月17日作。「大阪毎日」一万五千号記念俳句大会での題詠出句。「五月十七日。大阪にあり。毎日俳句大会。会衆八百。」の詞書がある。
〈参考〉『自選自筆 虚子百句』(1958年、便利堂(2010年復刊、岩波書店))、『虚子五句集(上・下)』(1996年、岩波文庫)、『高浜虚子の世界』(2009年、角川学芸出版)、『虚子百句』(2010年、創風社出版)など。
高浜虚子(たかはま きょし、明治7年(1874)2月22日~昭和34(1959)4月8日)
 現在の愛媛県松山市出身の俳人。同郷の正岡子規(1867-1902)に師事し、その死を境に句作から退くが、約10年後に復帰。「花鳥諷詠」「客観写生」を掲げ「ホトトギス」を率い、河東碧梧桐(かわひがし へきごとう、1873‐1937)らの新傾向俳句と一線を画した。文化勲章受章。妻は東京で下宿を営んでいた旧前橋藩士・大畠豊水の娘・いと。


 
  6月   五月雨や起きあがりたる根無草     村上鬼城
      さみだれや おきあがりたる ねなしぐさ     季語「五月雨」夏(「根無草」の花は秋の季語)
『鬼城句集』(1917年、中央出版協会(2003年復刻、鬼城草庵))所収。
村上鬼城(むらかみ きじょう、慶応元年5月17日(1865.6.10)~昭和13年(1938)9月17日) ※「12月」を参照

7月   くもの絲一すぢよぎる百合の前     高野素十
      くものいと ひとすじよぎる ゆりのまえ     季語「くもの絲」夏(「百合」も夏の季語)
昭和12年(1937)10月発表。「客観写生」に忠実な句とされる。『初鴉』(1947年、菁柿堂)所収。
〈参考〉倉田紘文『高野素十『初鴉』全評釈』(2011年、文學の森)など。
高野素十(たかの すじゅう、明治26年(1893)3月3日~昭和51年(1976)10月4日)
 現在の茨城県取手市生まれの俳人。東京帝大医学部で同じ教室の先輩であった水原秋桜子などと「帝大俳句会」を結成。秋桜子、山口誓子(やまぐち せいし、1901-1994)、阿波野青畝(あわの せいほ、1889-1992)とともに「ホトトギス」の四Sと呼ばれた。師である高浜虚子の「客観写生」に忠実で、虚子から好意的に評価されたが、ライバルとなった秋桜子からは「草の芽俳句」として揶揄されることもあった。


8月   桐一葉日当りながら落ちにけり     高浜虚子
      きりひとは ひあたりながら おちにけり     季語「桐一葉」秋
明治39年(1906)8月27日作。句会「俳諧散心」第22回。「俳諧散心」は、新傾向俳句の騎手であった河東碧梧桐に対抗して虚子が始め、明治39年(1906)3月19日から翌年1月26日までのほぼ毎週月曜日、計41回を数えた。松根東洋城(まつね とうようじょう、1878‐1964)、岡本癖三酔(おかもと へきさんすい、1878‐1942)などが参加。
高浜虚子(たかはま きょし、明治7年(1874)2月22日~昭和34(1959)4月8日) ※「5月」を参照

9月   をりとりてはらりとおもきすすきかな     飯田蛇笏
      おりとりて はらりとおもき すすきかな     季語「芒」秋
昭和4年(1929)、神戸、大阪、京都、名古屋の「雲母」同人が共同して蛇笏を招聘した「大阪行脚」のおり、大阪の大蓮寺での歓迎句会で詠んだ句。昭和5年(1930)作。初出の『山廬集(さんろしゅう)』には「折りとりてはらりとおもき芒かな」として収録。昭和24年(1949)刊行の還暦記念句集『蛇笏俳句選集』以後、すべてひらがなの形で定着。
〈参考〉『飯田蛇笏集成』(全7巻、1994~1995年、角川書店)など。
飯田蛇笏(いいだ だこつ、明治18年(1885)4月26日~昭和37年(1962)10月3日)
 現在の山梨県笛吹市に生まれた俳人。大地主の家に生まれ、早稲田大学では同じ下宿の若山牧水と交流。高浜虚子に師事し「ホトトギス」の主要俳人となり、後に「雲母(うんも)」を主宰。山梨の山間で暮らし句作を続けた。短歌の迢空(ちょうくう)賞とともに昭和42年(1967)に創設された蛇笏賞は、前年1~12月刊行の最も優れた句集に与えられ、毎年6月に授賞式がある。四男の飯田龍太(1920-2007)も日本を代表する俳人の一人となった。


10月   啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々     水原秋桜子
       きつつきや おちばをいそぐ まきのきぎ     季語「啄木鳥」秋(「落葉」は冬の季語)
秋桜子がその生涯で数多く訪れることになる赤城山に、二度目に登った帰り道の印象を、翌年の夏になってから詠んだ昭和2年(1927)の代表句。『葛飾(馬酔木叢書 第4編)』(1930年、馬酔木発行所)所収。
〈参考〉『新装版水原秋櫻子 自選自解句集』(2007年、講談社)など。
水原秋桜子(みずはら しゅうおうし、明治25年(1892)10月9日~昭和56年(1981)7月17日)
現在の東京都千代田区神田生まれの俳人。主観を重視して虚子、素十と袂を分かち、昭和9年(1934)、「馬酔木(あしび)」を創刊。山口誓子なども加わり大勢力となった。産婦人科医として皇族の出産にも数多く立ち会った。


11月   炉開きしその夜の雨も聴くべかり     上村占魚
       ろびらきし そのよのあめも きくべかり     季語「炉開き」冬
昭和37年(1962)作。第五句集『萩山』所収。萩山は住んでいた東京東村山の地名。「不停堂」一連三句の第二句。
〈参考〉『群馬文学全集第十三巻 群馬の俳人』(2002年、群馬県立土屋文明記念文学館)(本句は収録せず)など。
上村占魚(うえむら せんぎょ、大正9年(1920)9月5日~平成8年(1996)2月29日)
 現在の熊本県人吉市生まれの俳人。東京美術学校に進学し、はじめ俳句を松本たかし(1906-1956)に学ぶ。昭和19年(1944)、群馬県の富岡高等女学校に図画教師として赴任。後に高浜虚子に師事したが、「ホトトギス」の世襲に反発し脱退。漆工芸家としても活動した。


12月   冬の日や前にふさがる己が影     村上鬼城
       ふゆのひや まえにふさがる おのがかげ     季語「冬の日(冬の太陽の意)」冬
『鬼城句集』(1917年、中央出版協会(2003年復刻、鬼城草庵))所収。
〈参考〉『群馬文学全集第三巻 村上鬼城 長谷川零余子』(1999年、群馬県立土屋文明記念文学館)、群馬県立土屋文明記念文学館第65回企画展図録『村上鬼城 その生涯と作品』(2009年)(6月、12月両句とも収録せず)など。
村上鬼城(むらかみ きじょう、慶応元年5月17日(1865.6.10)~昭和13年(1938)9月17日)
 江戸生まれ。俳句の黄金期大正時代を代表する俳人の一人。軍人を志すも聴覚障害のため断念し、高崎裁判所構内代書人として職を得て、群馬県で生涯を送った。正岡子規、高浜虚子に認められ「ホトトギス」同人となり、障害を持つ境遇を詠んだこともあり「境涯の俳人」と言われる。旧居は平成24年(2012)2月現在、高崎スズラン立体駐車場「パーク75」となっており、内部にパネル紹介と「鬼城エレベーター」がある。