群馬県立土屋文明記念文学館

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祖父・土屋文明の思い出

 土屋文明の孫であり、著作権者でもある、土屋安見やすみ氏に「祖父・土屋文明の思い出」という演題でご講演いただけることになりました。
 土屋文明記念文学館では、令和5年1月21日から3月21日まで第118回企画展「文学者の愛用品-7Bの短くなるを愛しつつ使ふ-」を開催します。その記念講演として2月26日にご講演いただきます。

 今年生れ安見はいまだ零歳なりああああ小さきかな (「青南集」)
 京都人は踏切に警報機思はぬか幼きが通はむ学校の道    (「続々青南集」)
 三世四人一日の行きの形見にて沙に生ひ続ぐ岩清水山藍 (「青南後集」)

 安見さんは、文明の長男である故夏実氏の長女として生まれ、幼稚園の最後の年から小学校4年の秋まで5年間、東京南青山の家で文明と一緒に暮らしました。その後、夏実氏の仕事の関係で、京都に移りますが、文明は歌会が開かれる折などに京都の家を訪れていました。

 安見さんが「アララギ」平成3年10月号(土屋文明追悼号)に寄稿された「思ひ出の断片の中から」を読ませていただくと、安見さんが祖父文明に親しく接し、さまざまなことを感じ、受け継いでいらっしゃることがよく分かります。
 特に印象に残った部分を紹介させていただきます。

 祖父は生活に関わるもの全て-庭に咲く小さな花から、政治経済に至るまで-に深い関心を持つてゐたが、「食べる」ことに対してもさうだつた。

 祖父の話は、時に戦時中に歩いた、中国で見かけた風景であり、時に万葉集の足跡を訪ね歩いた旅であり、街の話、食の話、人の話、植物の話と、つきることがなかつた。

 私は食卓での祖父の話のあれこれから、自分が居る場所の外に、もつとさまざまな世界があることを知つていつたのだと、今思ふ。

 父の葬儀の時もそのあとも、祖父は私達の前で一度も涙を見せなかつた。ただ黙つて耐へてゐた。

 桃山城が落城した時のことを話してくれた。(中略)
 「さうして、みんな死んじまつた」何とも言ひやうのない響きをたたへた祖父の声に、驚いて見ると、祖父の目が赤く潤んでゐる。祖父は、父や祖母のことを、「悲しい」「口惜しい」などといふ言葉はもちろん、思ひ出話などもめつたに口にしなかつた。むしろ、口にすることを頑強に拒んでゐるふうですらあつた。

 私は、この文章を読ませていただいて以来、ぜひいつか、安見さんに、当文学館で文明について語っていただきたいと考えてきましたが、このたび実現することをたいへんうれしく思います。そして、何よりも快くお引き受けいただいた安見さんに心より感謝申し上げます。

〈文明と安見さん〉

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