特別館長日記
信州山田温泉
昨日(6月1日)将棋の名人戦第5局2日目が行われ、藤井聡太六冠が勝って新名人が誕生しました。
対局が行われたのは、長野県上高井郡高山村山田温泉の緑霞山宿藤井荘です。
偶然ですが、1ヶ月ほど前の5月11日、文明の足跡をたずねて山田温泉に行ってきたところです。
群馬県からみると、山田温泉は、位置的に県境の山を挟んで、草津や万座の反対側になります。往きは、高い山道を越える自信がないので、遠回りの上に高速道路代金もかかるのですが、上信越自動車を利用し、須坂市から訪ねました。帰りは、天候も良かったので、上田市から鳥居峠を越え、嬬恋村を通って帰ってきました。
昭和2年5月1日、文明は、万葉集の講演で長野県を訪れた際に山田温泉を訪れました。
『山谷集』に「信州山田温泉」と題して、次の9首が収められています。
斑尾の嶺につく雲の雪につく夕かぎろひを上り来にけり
足引の山桜花ほのぼのと硫黄にごれる沢はふかしも
硫黄にごりてたぎち流るる沢みればみどりかなしく柳萌え居り
とどろける硫黄の川に細谷の真清水川が落ち入りにつつ
なだれ雪土を被れるあたりには蕗の薹一尺ばかり伸び立ちにけり
こゑ上げて酔ひたる人ら浴み居り其が家妻を言にいひつつ
真日くれて大湯に集ふにぎはひや塩魚焙る香の寂しけれ
雪のこる山のかなたの七味湯を心に思へど行きがたきかな
忙しく一夜やどりて足引の山沢羊歯も食ひにけるかも
文明が宿泊した風景館も、歌に詠まれた大湯も、訪れた当時の建物ではないようですが、山の豊かな緑に囲まれ、底の見えない深い渓谷に臨む温泉全体の雰囲気から、当時を忍ぶことができました。
山田温泉には、文明のほか、松尾芭蕉、小林一茶、森鷗外、与謝野晶子、会津八一など、多くの文人墨客が訪れています。
名人戦の行われた藤井荘には、明治23年鷗外が滞在しています。
また、温泉のいたるところに句碑や歌碑がありました。
大湯のかたわらには、「春風に猿もおや子の湯治哉」という、まさに一茶らしい句碑もありました。
風景館のすでに引退された女将さんのお話では、文明の歌碑を建てようという動きもあったそうですが、君は頭はいいけど、字は下手だと言われたことがトラウマになっていたのか、文明自身が歌碑に自分の字を遺すことを好まなかったこともあり、実現しなかったようです。