特別館長日記
角館田沢湖
<田沢湖>
<御座石>
<御座の石の杉>
世の中にあやしく深き遠底の瑠璃の水底に姫は沈めり 左千夫
うつせみは願いを持てばあわれなりけり田沢の湖に伝説ひとつ 茂吉
たつこ像が建てられたのは、昭和43年だが、田沢湖のたつこ伝説は有名で、角館出身の平福百穂に促されて田沢湖を訪れた伊藤左千夫や斎藤茂吉も伝説に因んだ短歌を詠んでいる。
地元の人々に敬愛された親子2代の画伯で、アララギ派の歌人でもあった百穂の歌碑も田沢湖畔にある。
いにしえゆ國をさかひす嶺のうえ岩手秋田の国を界す 百穂
百穂は、さまざまな面で角館の発展に尽力したが、特に角館中学校(現角館高等学校)設立の中心的役割を果たした。角館中学校は武家屋敷通りの北端に建てれたが、現在は東側の丘陵上に移転している。
当時の中学校跡地には、現在、平福百穂の歌碑、秋田県立角館高等学校跡の碑、島木赤彦の原稿を斎藤茂吉が補筆した角館中学校校歌原稿の碑が立っている。
特に、百穂の歌碑は、昭和14年、昭和8年に55歳で亡くなった百穂の7回忌に建てられたもので、2つの短歌と百穂の半身像が刻まれている。その壮麗さを見ると、百穂が角館の人々から深く敬愛されていたことがよくわかる。
さらに、昭和63年には、その場所に角館町平福記念美術館が建てられ、百穂とその父である穂庵の絵が展示されている。
<角館武家屋敷の通り>
<角館町平福記念美術館>
<百穂の歌碑>
<同半身像>
<秋田県立角館高等学校跡の碑>
<角館中学校校歌原稿の碑>
<百穂の墓(学法寺)>
画伯として認められて、経済的に恵まれ、有力者との交際も広かった百穂は、アララギの歌人たちを支援したが、土屋文明もさまざまな支援を受けた。経済的に苦しかった学生時代、文明のアルバイトをさまざまな形で支援した。東京帝国大学卒業後、新聞記者になることを希望していた文明に国民新聞の有力者を紹介してくれた。しかし、文明は採用されなかった。長野県諏訪高等女学校に教頭として赴任する文明に、女学校であることから、結婚を強く勧め、文明はそれに従った。教育者としての信念を貫き、松本高等女学校から木曽中学校への転任を拒否して辞職した文明に、角館中学校の校長職を紹介した。文明はそれを受けなかったが、百穂の配慮に感激したにちがいない。
<生徒登校口の碑>
現在の角館高等学校の生徒の登校口に、「中学は角館に設立されればそれでよいとは思はぬ。それは尠なくも将来東北で尤も優良な中学にしなくてはならぬ」という百穂のことばの碑が建てられている。
このことばを読むと、百穂は、職を失った文明にたんに同情していたわけではなく、文明を評価し、学校の未来を託そうとしていたことがわかる。
百穂が昭和8年に亡くなると、すでにアララギの編集発行人になっていた文明は、各界有力者の追悼文を掲載するとともに、自らも「平福畫伯のこと」と題して追悼文を掲載し、昭和9年4月にアララギの平福百穂追悼号を発刊した。
左千夫も百穂も茂吉もすでにこの世を去ってかなりの時が過ぎた昭和39年9月、東北地方を旅した土屋文明は、この地を訪れ、「角館田沢湖」という題で23首の短歌を詠んでいる。
花植ゑし駅の多きを見つつゆく中に目に立つダチュラアルバか
山形よりいづくにて秋田に入りにしや稲のみのりは分ちなく見ゆ
耕す時すぎて稔りに働けど機械ありて馬を見ることのなし
韮の畝実をつけし見るしばしばにて角館に降り立ちにけり
この町の出身学生ありたりき平福百穂の名を知らざりき
教ふる人なき墓どころ尋ぬべく町の役場の白き中に入る
代々のみ墓かく保たれて故郷を思ひ給ひし心もしるし
大村藩士の為に立てたる墓のことも聞きたりき今日は見る
二度の火に焼けたりといふ石立てて二穂誕生の地をあらはす
木は高くなりて家居の立ちかはる静かなる出生の跡を保てり
力尽し此の町に成りし中学校職失ひし我を誘ひ給ひき
石に彫りしみ姿秋の日の中に草には低き風露草の花
湖の道ゆきすぎむとして足とどむ木下暗む時み歌ゑりし石
水ぎはまで田作り稲の熟れし色今日は波なしといふ水海に
過ぎし人々いかにか山の湖に上り来し別して明治四十二年左千夫先生
水海のかなたの岸の村も見ゆ黄にみのりたる親しさもちて
新しき水路のために水の色昔にかはりゆくといふものを
湖に近づく時によぎりたる一つ曲屋のくらし思ほゆ
杉の老木君の描きし形に見ゆ長かりしかな此の湖を我の思ひて
波の寄る御座の石に立ち夕日させば我が老妻も処女さび見ゆ
駒ヶ岳に雲凝り離れまた寄り来る朝のしばしは心しづまる
ぶなの梢の早きもみぢをあはれみて我が立つ前を霧は早しも
高きより朝の湖見て別る霧のたなびき人になつかし
12月4日と5日の両日、文明の短歌を参考にしながら、田沢湖と角館を旅した。雪がたくさん積もっていることに驚いたが、天候には恵まれ、文明の心境に思いをはせながらのんびり巡ることができた。町の至るところに枝垂れ桜の木が植えられ、春の爛漫が目に浮かんだ。桜の満開は4月下旬とのこと。
<枝垂れ桜>