群馬県立土屋文明記念文学館

特別館長日記

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令和2年9月30日(水)

 西方せいはうはざまひらけて夕あかし吾が恋ふる人の国の入り日か
 閑ある日を幼児と今朝も来て土手にしゃがまり蓮をみて居る
 手をひろげはげまして待てどおとろへし吾児あこは尻据ゑて歩み来らず
 庫裡のかたに水汲む井戸の音きこゆ百日紅の落つるひるすぎ

 文明の妻テル子は、文明よりも2歳年上でした。
 明治45年3月に津田梅子の女子英学塾を卒業したテル子は、翌大正2年7月、足利高等女学校(有楽町)へ教諭心得(英語担当)として赴任し、医者を営んでいる親戚の池田愛三郎の家(井草町)に下宿しました。足利に赴任する頃までには、文明とテル子は親しくなっていたようで、文明は足利のテル子を思う歌をたくさん詠んでいます。大正7年3月に文明と結婚し、長野県諏訪高等女学校教頭として赴任する文明に同行するまでの5年間、テル子は足利に暮らしました。

 そして、大正13年4月、文明が松本高等女学校長から木曽中学校長への転任を拒否して職探しのため単身で帰京すると、テル子は、ちょうど空きがあり、再び足利高等女学校に教諭として勤めます。2か月あまり雪輪町の長屋に借家した後、樹覚寺のある本城の一戸立て平屋を借り、翌年10月東京の田端に移るまで暮らしました。長野で生まれた長男夏実と長女草子草子かやこ、お手伝いの女性との4人暮らしでした。家の前に逆川さかさがわという川が流れ、近くには蓮の生えている場所もありました。旧友の尽力でまもなく法政大学に職を得ることができた文明は、週末にときどき訪れて子どもと遊んだり散歩したりしました。
 文明もテル子も多忙で、家族4人で出かけることはほとんどありませんでしたが、 病気回復まもない夏実と草子を連れ、百日紅で有名な小俣の大伽藍鶏足寺けいそくじへ出かけたことがありました。

 9月22日(秋分の日)、実家の墓参りをした後、文明とその妻テル子ゆかりの地足利を訪問しました。大きな渡良瀬川が流れ、山も近くに迫っていて、わずかな土地に町が開けたという感じでした。足利学校や隣接する鑁阿寺(ばんなじ)には寂しくないくらいの観光客がいましたが、コロナウイルスの影響がなければ、ずっと混雑していたのだろうと思います。大小さまざまな寺社がたくさんあり、落ち着いた雰囲気でした。
 井草町に、「池田医院」がありましたが、テル子が下宿した家であるかを確かめることは時節柄遠慮しました。樹覚寺近くにテル子が居住した場所は、今二階家が建っている場所と、周囲の情景から確信しました。小俣の鶏足寺はまさに「山全体が寺」という大伽藍で、ちょうど天然記念物の百日紅さるすべりが品よく咲いていました。











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