群馬県立土屋文明記念文学館

特別館長日記

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令和2年9月14日(月)

 一生の喜びに中学に入りし日よ其の時の靴屋あり吾は立ち止る(『少安集』)

 これは、五十歳を超えた土屋文明が旧制の高崎中学校に進学できた喜びを回想している短歌です。当時は、進学するだけの資質を備えていても、家庭環境に恵まれなければ、中学校に進学することはできませんでした。文明も丁稚奉公することを覚悟していただけにその喜びは大きかったようです。入試に合格できたという喜びとは異なりますが、入学できた喜びを詠んでいることに共感を覚えます。

 靴を買って貰ったことが中学校に入学できたことを象徴しているのですが、この靴屋がどの靴屋であったかは定まっていません。
 しかし、歌誌『新アララギ』に連載された宮地伸一氏の「土屋文明雑記」の(1)「観音山歌会」を読むと、この短歌が詠まれた状況がわかります。

 昭和16年6月15日、高崎の観音山にある慈眼院で、群馬県アララギ歌会が開かれました。土屋文明と宮地伸一を含む四名は前日から観音山にある錦山荘に泊まりました。歌会の懇親会を終えて、一行は歩いて柳川町へ向かいました。文明は、かなり酔っていましたが、だいぶ暗くなった通りで、ふと立ち止まって「この靴屋が、僕が中学に入った時に靴を買った靴屋だ」と、感慨深そうに示された、と書かれています。
 このことから、この靴屋は、観音山から聖石橋を通り、柳川町へ向かう途中にあったことがわかります。さらに、高崎の商工業関係の資料を調べていくと、鞘町にあった高見沢靴店と推定するのが妥当であると考えています。

 当館が燻蒸休館中で時間があったので、歌会が開かれた観音山の慈眼院、文明一行が泊まった錦山荘、かつて高見沢靴店があった鞘町(現、喫茶店「cafeあすなろ」)、一行が目指した柳川町、文明が通った高崎中学校(旧制)のあった上和田町(現、高崎市立第一中学校)、文明に代金後払いで書籍を売ってくれた立見屋書店のあった相生町を訪ねました。
 町並みは大きく変化していますが、それでも昔をしのぶ「よすが」はたくさんあるように感じました。

追伸。中学校時代のことを詠んだ文明の短歌を挙げておきます。

 払ひかねし本代を催促せざりけり立見屋三代目になりやしぬらむ(『青南集』)
 用のなき我は入りゆく中学校昔のポプラがあるかと思ひて(『青南集』)



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