群馬県立土屋文明記念文学館

特別館長日記

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川原湯温泉

 土屋文明は、昭和26年に当時の川原湯温泉を訪れ、10首の短歌を詠んでいます。それらは、『アララギ』の同年9月号と10月号にそれぞれ5首ずつ発表され、歌集『自流泉』に収録されています。

 てんを限る青き菅尾すがをに次々に朝のしら雲あそぶ如しも
 たにに奥草原に黄なる朝日さし菅尾の雲はやうやく高し
 暇あるごとくに浴むる朝夕に横ふす菅尾ただにゆたけし
 浴みつつ青葉に眠る夜々を何にうながしまぬ瀬音ぞ
 此のあした雲を抱ける青谷あをだにや行かば一日のいこひあるべし
 時過ぎし塩手しほでに寄りて道を譲る露にぬれ峠下り来る母子おやこ
 雲の中に榛名山はるなやまみゆ芋柄いもがらを帯にして越えきと亡き祖母そぼ語りき
 食らふものし芋がらをたづさへて遠くみにし祖母おほばをぞおもふ
 つばくらの峠に見下みおろす谷の道雲より遥かなりふるさとのかた
 山越えて二度ふたたびみしこの出湯いでゆ一生ひとよたのしみ語りしものを

<王湯正面>

 文明は、東京南青山の自宅が空襲で焼けたために、戦後も長い間疎開していた吾妻町川戸から川原湯温泉を訪れました。短歌からは、苦労が絶えなかった祖母がこの温泉を好んだことを思い出しながら、周囲の自然に親しみ、温泉を楽しむ文明の姿や心を読み取ることができます。
 昭和27年の調査開始からさまざまな経緯を経て八ッ場ダムがつくられ、令和2年から運用が開始されたことにより、かつての川原湯温泉はダム湖の底に沈みました。しかし、それに伴い、鉄道や温泉施設の移転整備が進められ、共同浴場の「王湯」もダム湖を臨む丘の上に移転されました。そこには、温泉発見者とされる源頼朝にちなんで、その家紋が掲げられています。また、伝統の湯かけまつりも毎年1月に行われています。さらに、玄関脇には、松尾芭蕉「山路来て何やら床し菫草」の句碑も移転されていますが、芭蕉が川原湯温泉を訪れたという確固たる記録はないようです。

<川原湯温泉駅>

<芭蕉句碑>

 高崎市街からは、小栗上野介が没した倉渕を貫ければ1時間前後で行けるし、平日は貸し切りになるくらい空いているので、私も雪のない季節にはしばしば日帰りで通っています。
 昔とは大きく様変わりしていると思いますが、周囲を取り囲む山々を眺めながら、かすかな硫黄臭を伴う無色透明で柔らかい源泉かけ流しの湯につかっていると、文明の短歌の気分が改めて感じられ、日々の疲れが癒されるような気がします。
 川原湯温泉は、すばらしい温泉なので、たくさんの人に訪れていただきたいと思う反面、わがままなことに、自分が行くときには空いていることを願っています。

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