特別館長日記
横須賀を訪ねて
JR横須賀駅の外に出ると、海沿いにヴェルニー公園がありました。
ヴェルニー公園から望む横須賀軍港
ヴェルニーは、横須賀造船所の基礎を築いたフランス人技師で、造船所の建設を提案した江戸幕府勘定奉行小栗上野介とともに、公園内に銅像があります。公園からは、米軍や自衛隊の基地が見え、いろいろな艦船が停泊していました。右手には造船所のドックが並び、建造中あるいは修理中の艦船が見られ、槌音も聞こえてきました。
ヴェルニーの銅像
小栗上野介の銅像
公園やその周辺は、観光客で賑わい、軍港めぐりの船にはたくさんの人が乗っていました。幼児や犬をつれて散歩している人やベンチに腰掛け海をながめる人もたくさん見かけました。
やや離れたところにある三笠公園でも、国内外のたくさんの観光客が、日露戦争の旗艦三笠を見学していました。
どこも、秋晴れのせいもあって、明るく平和な雰囲気でした。
日露戦争旗艦三笠
土屋文明は、「横須賀」18首を『アララギ』昭和8年3月に発表し、『山谷集』に収録しています。
横須賀
軍艦は出でたるあとの軍港に春の潮みちくらげ多く浮く
静かなる春の潮にボートこぎて声はこだますドックの方に
幾隻か灰色の入渠船の後にて赭き建造船にとどろく音あり
子供等は浮かぶ海月に興じつつ戦争といふことを理解せず
午ちかく逸見の波止場に集り来るランチの汽笛すでに勇まし
三笠艦見つつし思ふ力つくし戦ふはただに功利のためのみならじ
国を守りの戦ながらひたすらに生命いきほふはそれのみによし
敵またよく戦ひし跡はしるく残る幾千の命ただに戦ひけむ
此所に戦死の人のあと見れば生き死の吾が観念の変るかと思ふ
ただに生死のことのみならず戦争をたたへし思想に思ひ及ぶかも
ふり仰ぐ四十サンチのい砲門の斉射のさまを君説きて聞かす
初弾命中に国の存亡はかかるといふその時の砲術長を思ひ涙ながるる
艤へる軍艦見れば戦争の勝負は決してありとも思はる
戦をここに決すべき工廠を妻子をつれてしばし見物す
列をなし航空母艦を見てあるく小学生等もいたくおとなし
春の日の夕日になりし工廠の戦艦のマストなほ酸素燃ゆ
春の日のかぎれる中にひらめきて鉄截る酸素の焔きびしき
わが前の若き士官の友のうへに海行く生吾は思はむ
これらの短歌を読んだ時、私は強い衝撃を受けました。
昭和8年2月、国際連盟は、総会を開催し、満州事変、満州国建国等に関するリットン調査団の報告を受けて日本に対する撤退勧告案を可決しました。これに対し、日本は翌3月、勧告を拒否し、国際連盟を脱退しました。文明が「横須賀」18首を詠んだのは、まさに日本が太平洋戦争敗戦に向かっていく歴史の転換点でした。
文明は、豊富な教養を有する知識人でしたし、社会状況から率直に詠むことは控えていましたが、当時の政府や軍隊に対して批判的な視点も有していました。
しかし、文明が詠んでいるのは、あくまでも日露戦争で独立自衛のために戦った戦艦三笠や、造船で活気づく軍港の様子などです。個々の人間が歴史の実相を見抜くことがいかにむずしいか、ひょっとしたら、現在もそのような歴史の転換点にあって、自分たちが気づいていないだけなのかもしれません。
横須賀を訪れて、そのような思いを再度新たにしました。
横須賀軍港