特別館長日記
謎の伊藤左千夫像
五十年に余りてのこる墨のあとなそりし下にも生ける笑みはや 文明
伊藤左千夫の五十回忌を記念して刊行された土屋文明著『伊藤左千夫』には、左千夫像の口絵が掲載されています。文明は、同書のあとがきで「口絵の左千夫像は、正岡家保存の中から発見されたものを正岡忠三郎氏から贈られたのである。明治三十三四のものであらうか。上の図の方が左千夫を彷彿させるやうだ。正岡氏に感謝しつつ本巻頭をかざらしてもらつた」と述べています。
当館は、この左千夫像の複製に文明が冒頭の短歌を書き入れ、親しい友人に配布したものを古書店から購入し、所蔵しています。
この左千夫像にはいくつかの謎があります。
その1 左千夫像の実物は今どこにあるのか。
あとがきによれば、実物は、正岡忠三郎氏から文明に贈られたように読めるが、その後どうなったのか。
その2 なぜ、上下に2つの左千夫像が並んでいるのか。
正岡子規は、どのような状況でこの左千夫像を描いたのか。別に伝わる「左千夫像」の下書きとして描いたのか。
その3 上の左千夫像は、だれがなぜ薄黒くこすったのか。
子規が描いた画を子規以外の人物がこすったとは考えがたいので、こすったのは子規自身と考えてよいか。出来が悪いのでこすったのか、墨の濃淡を試すためにこすったのか。
伊藤左千夫は大正2年7月30日の午前2時頃に脳溢血で倒れ、午後6時頃に息を引き取りました。文学はもちろん、いろいろなことに父親のように世話をしてくれた左千夫の突然の死に、文明は、その柩にすがって号泣したと伝えられています。
あはれあはれ吾の一生のみちびきにこのよき先生にあひまつりけり 文明