群馬県立土屋文明記念文学館

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柿の木は残った

 九月十八日宵宮に我は生れしといふ産土神を五万図のせず 文明

 9月18日は、土屋文明の誕生日です。
 文明にとっての産土神は、榛名神社の末社で、生家から300mほど離れたところにあります。訪ねてみると、「榛名神社」の額が掲げられてあり、小さいながらも、高い樹木に囲まれ、森厳な佇まいでした。祭礼が近いせいか、草もきれいに刈り取られ、整然としていました。

〈文明の産土神「榛名神社」〉

〈土屋家の菩提寺「善龍寺」〉

 文明は、明治23(1890)年に西群馬郡上郊村大字保渡田(現在の高崎市保渡田町)で生まれました。その生家は、当文学館から西へ1㎞ほど行ったところにありましたが、大正6年に父の保太郎が東京深川で米屋を開業するのにともない、地元の人に売り渡され、現在に至っています。
 家屋はすべて建て替えられてしまいましたが、当時をしのぶものとして、一本の柿の大木が残されています。
「渋柿の木が一本あったが、一年として柿らしい柿のなったことのない木なので、父が切り倒そうとして三分の一程度鋸を入れた時に、外出先から帰って来た祖母が、屋敷に果物の木がないのはいけないと言って、とうとう切り倒すことを止めさせたということも私も聞いた。」
 随筆『羊歯の芽』で、文明はこのように述べています。

〈文明生家跡に残る柿の木〉

 現在の家主の方に、柿の木の撮影の許可をいただくとともに、文明にまつわることが何かないか、お聞きしたところ、すでに故人となられたお母さんが、今から70年くらい前、年配の男性が万感の思いを込めてその柿の木を抱きしめている姿を見かけたことがあるとのことです。
 もちろん、その男性が文明であるかどうかはわかりませんが、文明のふるさとに対する強い愛着の念を思えば、十分あり得ることだと思いました。
 文明の長女の小市草子も、『かぐのひとつみ-父文明のこと-』で、文明が一人でふるさとの思い出の地をまわったことがあると書いています。

 さて、土屋文明記念文学館では、今年から「土屋文明記念文学講座」を開催することとしました。従来から文学講座は開催してきましたが、「土屋文明」の名前を冠して、短歌をはじめとする様々なテーマで開催することで、その功績を顕彰する行事であることを明確にし、長年にわたり「短歌界の牽引者」として活躍した文明にふさわしく、文学を愛好する皆様に全国からご参加いただけるような内容にすることを目指しています。

 その第1回として、土屋文明の誕生日である9月18日に、「ことばの力」という演題で永田和宏先生にご講演いただきます。永田先生は、科学者でいらっしゃるとともに、現代歌壇の第一人者です。「塔」短歌会を拠点として活動され、朝日歌壇の選者、宮中歌会始詠進歌選者等を務められ、多数の歌集や著書を発表されています。
 永田先生には、一昨年、土屋文明の生誕130年没後30年の記念展でも、「戦後歌壇の牽引者土屋文明」という演題でご講演いただきましたが、「土屋文明記念文学講座」の第1回にふさわしい先生は、永田先生以外にはいらっしゃらないということで、今回もお願い申し上げましたところ、ご多忙にもかかわらずお引き受けいただきました。

 群馬県立土屋文明記念文学館は、土屋文明を顕彰する「土屋文明記念館」としての性格と、広く文学一般を対象とする「県立文学館」としての性格を併せ持っています。平成8年の開館以来四半世紀が過ぎましたが、今までを振り返ると、前者に関しては常設展示室が備えられているので、企画展として新規の内容に取り組むことになる後者に、職員の関心や活力が注がれがちになっていました。今後は、土屋文明の顕彰にも今まで以上に力を入れることで、当文学館の特徴である「二面性」を活かしていきたいと、土屋文明の誕生日にあたり考えています。

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