特別館長日記
千枚田の田植え
5月12日の新聞で、11日、石川県輪島市にある白米千枚田で田植えが始まったという記事を読みました。棚田全体の1割程度とのことですが、1月1日の能登半島地震で大きな被害を受けたにもかかわらず、農業復興への営みが始まったことをたいへんうれしく思うとともに、関係者の皆様のご苦労とご努力に心より敬意を表します。
すでに一度日記に書きましたが、白米千枚田には、昨年3月に土屋文明の短歌
一椀にも足らぬばかりの田を並べ継ぎて来にける国を思ふも
の歌碑が建てられました。10月には、輪島市役所への挨拶を兼ねて歌碑を視察に行ってきたばかりなので、地震の発生と甚大な被害には大きな衝撃を受けました。言葉にするほど簡単なことではありませんが、能登の人々の昔からの粘り強さが発揮され、復興が進むことを願うしかありません。
土屋文明は、万葉集調査などのために、越中守を務めた大伴家持の足跡を追い、何度も能登を訪れています。
そして、自身も半農半商の小さな家の子として苦労を強いられてきたことから、文明は、白米千枚田の棚田を見て、厳しい自然と対峙しながら懸命に暮らしてきた能登の人々に強く心を動かされました。この文明の真意が能登の人々に伝わり、歌碑が建てられたのだと思います。
文明が生きていれば、今回の地震の発生に大きな衝撃を受けて、亡くられた方々を悼む短歌や被害を受けた方々を見舞う短歌をたくさん詠んだはずです。そして、この度、田植えが行われたことについても、その感動を後世に伝える短歌を詠んだにちがいありません。
しかし、残念ながらかなわないことなので、文明が能登を訪れて詠んだ短歌を少し抜き出してみました。
今朝の雨やみて賑ふ朝市は遠来し吾を迎ふとにあらし
歯を染めて立てるにあへば遠き来て吾が亡き母にあふがにも思ふ
豊かなりし年のみのりを言ふ媼に心なぎつつ吾等ゆきつも
時おきて来る光に海にせまる片側に重ねし如き田のあり
首筋のいたくなるまでバスに乗り何に恋ひつつ行きし二日ぞ
(以上、『少安集』羇旅五十三首より、昭和16年)
朝きらふ島の宿りをいで立ちて栗ひとつ拾ふ道芝のなか
(『山の間の霧』能登一宿より、昭和17年)
能登の海の莫告藻食ふもはげみにて日に読む万葉集巻十七
(以上、『青南集』能登のなのりそより、昭和30年)
大根の葉を青々となびかせて市に出づる車見ての朝だち
木の葉より小さき田を斜面に重ね並べ耕すあはれはいつの代よりぞ
時々の政治我知らず今は人は出挙に頼らず出稼ぎに依る
(以上、『続青南集』珠洲郡より、昭和40年)