群馬県立土屋文明記念文学館

特別館長日記

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槻の丘(墓参り)

 12月8日は文明先生の命日です。今年は、当日が日曜日で、恒例の暮鳥文明まつりが文学館で開催されたので、13日、職員4名で、埼玉県比企郡ときがわ町にある文明のお墓と菩提寺である慈光寺にお参りしました。

墓地入口

土屋家墓

墓参り

亡き後をの歌碑

紅葉の山道

慈光寺山門

多羅葉樹

 文明のお墓は、慈光寺に向かう山道の途中、けやきなどの樹々に囲まれたこぢんまりした墓地にあります。私がお参りしたのは、3年ぶりくらいですが、樹々が大きくなり、墓が増えていることに時の流れを感じました。

 墓地はよく管理され、落ち葉がわずかに散っているくらいで、たいへん整然としていました。土屋家のお墓には花が進ぜられており、まだそれほど日が経っていないように見えました。私たちも花をお供えし、お線香を上げて手を合わせました。

 墓地の傍らの歌碑は、紅葉を背に、以前と変わらずひっそりと建っていました。

 亡き後を言ふにあらねど比企のこほりつきの丘には待つ者が有る(『青南後集以後』)

 この歌碑を見ると、長男や妻に先立たれた文明のさびしさをいつも思い出します。

 文明は、昭和49年に長男の夏実氏が亡くなった後、子がいたにもかかわらず、長野県教員を辞めた、50年前のことを悔いて詠んでいます。

 ほしいままに職を捨て幼きを養はず悔いて言ふとも五十年前

 昭和57年に最愛の妻であるテル子さんが亡くなった時に詠んだ絶唱もあります。

 さまざまの七十年すごし今は見る最もうつくしき汝を柩に

 終わりなき時に入らむに束の間の後前あとさきありや有りてかなしむ

 いずれも『青南後集』に収められています。

 お墓にお参りした後、紅葉の山道をさらに上って慈光寺を参拝し、ご住職にご挨拶申し上げ、土屋家の位牌にも手を合わせました。

 慈光寺は673年創建のたいへん由緒のあるお寺で、宝物館には国宝「慈光寺経」なども蔵し、境内には「はがき」という言葉のもととなった「多羅葉樹」の木もあります。

 久しぶりに比企を訪れて、文明先生が永眠するにふさわしい山とつくづく思いました。

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