特別館長日記
文明と北海道
土屋文明は、昭和5年4月、昭和9年8月、昭和22年8月~9月の3度、北海道を訪れ、短歌を詠んでいます。それぞれの旅で詠まれた短歌の題詞(タイトル)を見ると、文明が北海道全土をほぼ巡ったことが分かります。
昭和5年の旅行(『アララギ』6年1月号2月号発表、歌集『山谷集』所収)
北蝦夷「津軽海峡→函館五稜郭→石狩川→狩勝峠→釧路に至る→根室→樺戸」
昭和9年の旅行(『短歌研究』9年10月号、『文藝春秋』9年10月号発表、歌集『山谷集』所収)
北海道雑詠「空知川上流→弟子屈→移民村→屈斜路湖→網走線→阿寒湖→根室港→支笏湖畔アララギ歌会→稚内往復→福山に至る」
昭和22年の旅行(戦後疎開の混乱期のため発表は不明、歌集『自流泉』所収)
北に行かむとして→網走にて→洞爺湖昭和新山→北国の花→層雲峡→硫黄山→弟子屈摩周湖
私も3度北海道を旅行したことがあります。特に、まだ青函トンネルができていなかった大学4年の夏休みには、青函連絡船で北海道に渡り、10日間かけて道内を巡りました。そのかいもあって、文明が北海道で詠んだ短歌の多くは、臨場感をもって味わうことができます。
しかし、自分が訪れたことのない土地での文明短歌を味わうためにぜひ行ってみたいとかねてから考えていた土地が2つありました。
1つは樺戸郡月形町です。ここには明治から大正にかけて集治監がありました。罪を犯した人を全国から集め、北海度の過酷な自然のなかで、開拓作業に強制的に使役し、多くの死者を出しました。文明の祖父もそこで亡くなっています。だれも文明にこの祖父のことを直接話すことはありませんでしたが、成長するにつれ次第にその概要を知り、それは、文明の心に暗い影を落とすとともに、不遇の死に対する強い憐憫の情を抱かせました。
昭和5年の旅行で文明が詠んだ短歌を読むとその心情がよくわかります。
津軽海峡(4首中の1首)
罪ありて吾はゆかなくに海原にかがやく雪の蝦夷島は見よ
樺戸
長き年の心足らひか夜行車を暁降りて樺戸の道をきく
吹きしまく一ときの風くらくなりて霰はみだる樺戸道路に
石狩の渡の桂くれなゐに芽ぐめる下に自動車とまる
雪代の水落ちゆきし川岸にたくましき物の芽はひしがれぬ
笹原を押しなびけたる残り雪取りて捧げむ遠きみ魂に
うららかに照れる春日は雪の原芽立つ胡桃に人や偲ばむ
獄舎のあと柳のこむら今ぞ萌ゆる時のうつりは心和ましむ
悲しまむ人々さへに亡くなりて久しき時に吾は来にけり
うららなる野道を自転車にて来る僧に此所にはてにし人の名をいふ
もう一つは、道東の釧路・根室です。学生時代に網走や知床へは行ったのですが、釧路・根室へは行っていません。文明は昭和5年と昭和9年に2度訪れています。
今回は、7月1日から3日まで、以下のような日程で、道東へ行ってきました。
1日:6時16分に高崎駅出発、17時51分に釧路駅到着、宿泊。
2日:8時21分に釧路駅出発、10時53分に根室駅到着。
観光バスで11時10分から15時50分まで、春国岱、納沙布岬など、根室半島を遊覧。
16時8分に根室駅出発、18時50分
釧路駅到着、宿泊。
3日:8時32分に釧路駅出発、20時46分に高崎駅到着、自宅へ。
※観光バス以外はいずれもJR。
文明がここを訪れ、短歌を詠んだ時とは、90年以上の隔たりがありますが、今回の旅行で当時と変わらぬものをたくさん見ることができたような気がします。主なものを挙げれば以下のとおりです。
〇釧路は遠い。文明が旅した頃はもっと遠かったろう。根室はさらに遠い。
〇釧路も街を少し外れれば大自然の原野が広がる。根室は言わずもがな。
〇釧路も根室も大海原に囲まれ、さまざまな海の姿が見られる。
〇釧路も根室もすぐに霧が出る。そのため、私は国後も択捉も見ることができなかった。文明は運がよかった。
〇厳しい自然にもかかわらず、さまざまな動植物が生息している。
文明は、釧路、根室で次のような短歌を詠んでいます。
釧路に至る(昭和5年)
傾く日にきらふは釧路の国の山か夕ぐれてなほ到りつかざらむ
国土のはるけさ十勝をひねもすに雨ぞふりいづ釧路の町なみ
はるばると思ふ釧路の寒き雨にくされし果物並べて売れり
根室(昭和5年)
平かに低き磯島の夕ぐれて雪こごりたる岸海に入る
草山はひくき岬のはてならむ右に左に海の暮れゆく
落石の入江をすぎてやや久し海に向ひて国つきむとす
ほがらかに雲雀の声はうらがなし雪のこる牧場の中空にして
枯原の牧場に動く風ありて帆立貝すてし上に立てば鋭し
寒き風吹き来る海の遠く霞みただ淡々し千島の雪の
牧場の土とけて荒々しき轍のあと北国遥かにありと思はむ
蝦夷の島ここに尽きて千島の雪の山国後の島は渡りたく思ふ
根室港(昭和9年)
落石の入江ささやかに波のよる再び見るはあはれなりけり
根室港の港の上の宿なりき朝あけて見れば倉庫ならぶ
金刀比羅の祭を見つつ牧場にいで千島風露の種子をあつめぬ
リーダーの挿画の如き牧場を吾は好みて友をいざなひぬ
チモシグラスの穂の中を登る丘ありて国後の三つの山相はなれ見ゆ
納沙布の岬の方は低くして海が見え択捉の島が淡々と見ゆ
牧草の丘のさきは黒々と闊葉樹林天霧らひつつ海につづくかな
柵あり牧舎あり烏なきて声はこだまに帰ることなし
きこえ居る牛の幾つかの長きこゑ丘を渡りつつ海の上に消ゆ
草の葉は照る日鮮かにそよぎつつ吹きゆく霧の粗きを感ず
吹く霧は水滴あらく吹き居りて牧場の丘のとほくまで見ゆ
牧草を畦の如くに刈り伏せぬ残れるところ赤花クロバーにチモシ草秀づ
雪のこる北見の山のあたりより海の上の雲国後につづけり
昨日の夕日を見たるあたりの海ならむ遠白く光る市街地があり











