特別館長日記
子規・左千夫・文明
群馬県立土屋文明記念文学館は、7月11日から9月23日まで、第129回企画展「開館30周年記念 正岡子規とアララギ」を開催します。当館は、平成8年7月11日に開館しました。暦の関係(11日が土曜日)で、同じ日に記念の企画展を開幕できることをうれしく思います。
折角の機会なので、岩波文庫の子規関係の本を改めて読んでみました。そのうちの3冊『子規紀行文集』、『歌よみに与ふる書』(解説土屋文明)、『子規歌集』(土屋文明編)について、私が心を動かされたことを書かせていただきます。
まず、『子規紀行文集』についてです。子規と言えば、病に苦しむ人生というイメージが強いのですが、各地を旅して俳句や短歌を交えて紀行文を書いていることにほっとさせられます。そして、最も心を動かされたのは、子規の最後の旅が当時の東京市本所区茅場町にあった伊藤左千夫邸訪問であったということです。明治33年(1900)4月29日、赤木格堂、香取秀真とともに人力車で訪れると、あいにく左千夫は留守で、亀戸天神など時間をつぶして再訪すると、左千夫は帰宅していて、4人で夜遅くまで歌や画の話をして楽しく過ごしたことが「亀戸まで」という題で書かれています。すでに子規は歩くことができず、子規自身もこれが最後になることを意識していたと言われています。伊藤左千夫が短歌での子規の後継者であり、文明の恩師であることを思わずにはいられません。

次に、『歌よみに与ふる書』についてです。書名と同名の歌論「歌よみに与ふる書」は、明治31年に10回にわたって新聞「日本」に発表された子規の歌論で、伝統的な和歌から近代的な短歌への転機となったと言われています。土屋文明がその解説で、「子規の歌論は、一面にはその広い文学観によって論を進め、一面には実作者としての細かい技巧論を持っているのであるが、この「歌よみに与ふる書」は、そういう二面的な歌論の代表的なものと言えよう。(中略)後に左千夫、赤彦、茂吉らの論は、一面には非常な進歩を示し、それぞれの性格と深さを有っているが、その進歩の基点は、殆ど皆この子規の論に求めることが可能であると言い得るほどである。恐らく今後といえども、常に新しい問題に出発点を与える点では、この子規の歌論は永久不変と言うことが出来るのではあるまいか。」と絶賛しています。当館が30周年記念で正岡子規を取り上げた理由がご理解いただけると思います。

最後に、『子規歌集』についてです。この歌集は、岩波書店刊行の『正岡子規全歌集 竹乃里歌』(短歌1933首、長歌5首、旋頭歌12首、新体詩等)を底本に、短歌840首、旋頭歌6首を選出したものです。
さまざまな歌が収録されていますが、特に関心を持ったのは、伊藤左千夫に宛てて詠まれた歌や伊藤左千夫に関連して詠まれた歌がたくさん収録されていることです。子規が左千夫を大切にしていたことがよく分かります。文明がそのように編集したのだと思います。
目についた歌をいくつか抜き出しました。なお、(注)は私が付けました。
本所の四つ目に咲けるくれなゐの牡丹燃やして悪き歌を焚け
(注)左千夫の家は本所の四つ目通りにありました。
病みふせるわが枕辺に運びくる鉢の牡丹の花ゆれやまず
(注)牡丹は左千夫が贈ったものです。
竪川の流れ溢れて君が庵の庭の木賊に水はこえずや
(注)左千夫の家はしばしば水害に遭いました。
我が庵の硯の箱に忘れありし眼鏡取りに来歌よみがてら
(注)左千夫は極度の近眼でぶあつい眼鏡をかけていました。
歌会にこやるといひて笑はれて書きしこやるの解は正しも
(注)子規邸の歌会に左千夫も参加していました。
たて川の茅場の庵を訪ひ来れば留守の門辺に柳垂れたり
(注)紀行文「亀戸まで」のときと思われます。
茶博士が住みける庭の松の木に棒をくくりて押しかたむけあり
(注)左千夫は茶室を造るくらい茶に凝っていました。
今日や来ます明日や来ますと思ひつつ病の床に下待ちこがる
(注)左千夫に宛てた歌、来訪を心待ちにしていました。
十日は発句の会なり九日の朝からきませ茶は買ひてあり
(注)前の歌と同じときの歌です。
足引の山のつどひに君来ずば牛てふ題のうしやさびしや
(注)左千夫は牛舎を営んでいました。
枕べに友なき時は鉢植の梅に向ひてひとり伏し居り
(注)鉢植は左千夫が贈ったものです。
市に住めば水の患あり山を買へば火のうれひあり火の患君は
(注)災難続きの左千夫への同情です。
おほやけのみことかしこみ牛の為に建てし小屋はもけふの水の為
(注)左千夫は政府の奨励に従い牛乳業を営みました。
小ふくろの中は我知る茶の碗と筆と硯と松しまの歌
(注)松島に出かけた左千夫に思いを寄せた歌です。
「小ふくろ」の歌が土屋文明編『子規歌集』の最後を飾っています。
岩波文庫版の土屋文明編『子規歌集』は、「アララギ」を牽引した子規、左千夫、文明の親密な関係を実感できる歌集になっています。

むすびに、今回の企画展には、「仰臥漫録」をはじめ、正岡子規やアララギ派歌人の貴重な資料を展示していますのでぜひお出かけください。








