土屋文明略年譜
1890年(明治23年) 0歳 | 9月18日(戸籍上は翌年1月21日)誕生 |
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1897年(明治30年) 7歳 | 上郊尋常小学校井出分教場入学 |
1904年(明治37年) 14歳 | 高崎中学校(現・群馬県立高崎高校)入学 |
1907年(明治40年) 17歳 | 高崎中学校に村上成之が赴任、教えを受ける |
1908年(明治41年) 18歳 | 『ホトトギス』『アカネ』に投稿 |
1909年(明治42年) 19歳 | 高崎中学校卒業上京。伊藤左千夫宅に寄宿。第一高等学校入学。入寮。 『アララギ』に「睡蓮の花」発表 |
1913年(大正2年) 23歳 | 第一高等学校卒業。東京帝国大学入学 |
1914年(大正3年) 24歳 | 第三次『新思潮』に参加し、戯曲や小説を発表。『結婚生活』を翻訳刊 |
1916年(大正5年) 26歳 | 東京帝国大学卒業。『波斯神話』を翻訳刊 |
1917年(大正6年) 27歳 | 『アララギ』選者となる |
1918年(大正7年) 28歳 | 塚越テル子と結婚し、長野県諏訪高等女学校教頭として赴任 |
1920年(大正9年) 30歳 | 同校校長となる |
1922年(大正11年) 32歳 | 松本高等女学校校長に転任 |
1924年(大正13年) 34歳 | 木曽中学校への転任を拒否し上京 |
1925年(大正14年) 35歳 | 『ふゆくさ』刊 |
1926年(大正15年) 36歳 | 『信濃教育』編集主任となる |
1930年(昭和5年) 40歳 | 『往還集』刊。『アララギ』編集発行人となる |
1932年(昭和7年) 42歳 | 『万葉集年表』刊 |
1935年(昭和10年) 45歳 | 『山谷集』刊 |
1936年(昭和11年) 46歳 | 『放水路』刊 |
1939年(昭和14年) 49歳 | 万葉踏査多くなる |
1942年(昭和17年) 52歳 | 『六月風』刊 |
1943年(昭和18年) 53歳 | 『少安集』『万葉紀行』刊 |
1944年(昭和19年) 54歳 | 中国旅行。『万葉集上野国歌私注』刊 |
1945年(昭和20年) 55歳 | 空襲で住居焼失。『韮菁集』刊。群馬県吾妻郡原町川戸(現・東吾妻町)に疎開。 『アララギ』9月号復刊 |
1946年(昭和21年) 56歳 | 『アララギ』1月号から文明選欄が始まる。『ゆづる葉の下』『続万葉紀行』刊 |
1947年(昭和22年) 57歳 | 「短歌の現在及び将来に就て」を講演(名古屋) |
1948年(昭和23年) 58歳 | 『山下水』刊 |
1949年(昭和24年) 59歳 | 『万葉集私注』刊行始まる |
1950年(昭和25年) 60歳 | 『読売新聞』歌壇選者となる |
1951年(昭和26年) 61歳 | 東京青山南町に帰住 |
1952年(昭和27年) 62歳 | 『山の間の霧』刊。明治大学講師となる |
1953年(昭和28年) 63歳 | 『自流泉』刊。『万葉集私注』により芸術院賞受賞。宮中歌会始の選者となる |
1955年(昭和30年) 65歳 | 『土屋文明歌集』(角川文庫) |
1960年(昭和35年) 70歳 | 明治大学教授を辞任 |
1962年(昭和37年) 72歳 | 心筋梗塞で入院。芸術院会員となる。 |
1967年(昭和42年) 77歳 | 『青南集』『続青南集』刊 |
1968年(昭和43年) 78歳 | 『青南集』『続青南集』により読売文学賞受賞。『アララギ』に「万葉集私注補正稿」連載 |
1971年(昭和46年) 81歳 | 『アララギ』に「万葉集私注補正続稿」連載 |
1973年(昭和48年) 83歳 | 『続々青南集』刊 |
1979年(昭和54年) 89歳 | 『歌あり人あり』刊 |
1980年(昭和55年) 90歳 | 『万葉集年表』第二版刊 |
1982年(昭和57年) 92歳 | テル子夫人没(93歳) |
1984年(昭和59年) 94歳 | 『土屋文明歌集』(岩波文庫)『青南後集』刊。『羊歯の芽』刊。文化功労者となる。 |
1985年(昭和60年) 95歳 | 『青南後集』により現代歌人協短歌大賞受賞。『方竹の蔭にて』刊 |
1986年(昭和61年) 96歳 | 文化勲章受章 |
1990年(平成 2年) 100歳 | 12月8日、肺炎及び心不全により死去(100歳) |
1991年(平成 3年) | 遺歌集『青南後集以後』刊 |