群馬県立土屋文明記念文学館

特別館長日記

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特別館長日記

令和2年10月28日(水)

2020年10月28日

 年暮れぬ春来べしとは思ひ寝にまさしく見えてかなふ初夢(西行『山家集』)

 10月27日、本年度の文化勲章受章者が5人発表されました。
 受章者の一人、東京大学名誉教授の久保田淳先生には、平成26年4月27日に当館で、「桜と月の歌人・西行-旅する歌僧の人と作品-」と題してご講演をしていただきました。
 当初は、2月16日に開催の予定でしたが、大雪のため中止となり、上記の期日に変更して開催されました。先生には、通常の講演以上にご配慮いただきました。
 冒頭に挙げた歌は、先生の講演資料「西行名歌五十選」の最初に載っている歌です。
 久保田先生のご業績に厚く敬意を表しますとともに、この度の受章を心よりお祝い申し上げます。

 文明は、松尾芭蕉や与謝蕪村も訪ねた西行ゆかりの歌枕「遊行柳」を訪ね、「下野芦野」と題して次の歌を詠んでいます。  

秋あつき田の風の吹きわたる西行の柳はいまだ若木なり(文明『山谷集』)

 文明も、昭和61年に、歌人としては佐佐木信綱、斎藤茂吉についで3人目の文化勲章を受章しています。

 当館常設展示室内の「三十六歌人」コーナーには、開館時に独自に選んだ万葉から近代までの三十六人の人形があります。  西行については、次の歌をモチーフにしています。  

願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃(西行『山家集』)

 結びに、久保田先生のご健勝とますますのご活躍をご祈念申し上げます。

令和2年10月28日(水)

2020年10月28日

 青き上に榛名をとはのまぼろしに出でて帰らぬ我のみにあらじ(『青南集』)
 故郷の山の写真を引きのばし雲ある空にこひつつぞ居る(『少安集』)
 古き国上つ毛に新しき時来り山河と共に栄えむ我等ぞ(昭和62年「上毛新聞に」)

 秋も深まり、野山の木々が色づいてきました。文学館のある保渡田は、四季それぞれに趣がありますが、秋の美しさは格別です。
 今日は、空が青く澄んで、景色が遠くまで見渡せるので、文学館に隣接する八幡塚古墳に上り、周囲を眺めました。
 

 文学館を挟んで北側には、たくさんの峰をもつ榛名山が高崎を守る屏風のごとく横たわっています。  西側を見ると、すでに雪をかぶった浅間山が少し雲をともない、低い碓氷の山並みの上に天高くそびえています。
 東側は、赤城山がなだらかに裾野を長く引いています。
 南側には、多野の山並みが連なり、赤城山との間に関東平野が広がっていきます。
 

 保渡田は、二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳という三つの大きな古墳が点在し、古代から開けていたことが分かります。山々を遠望し、のどかな自然に恵まれたこの地を古代人も好んだのだと思います。
 土屋文明も上州の山々を愛し、たくさんの歌を詠んでいます。









令和2年10月15日(木)

2020年10月15日

 文学館の南側にある『方竹の庭』に植えられた橙に、今年できた青い実と年を越した黄色の実がいっしょに付いています。
 この庭は、東京南青山の文明旧宅から配置をほぼ変えず草木を移植した庭です。茎が方形の珍しい「四方竹」が植えられていることから「方竹の庭」と呼ばれています。
 文学館の常設展示室に再現されている「文明の書斎」の窓からも橙や四方竹をよく見ることができます。
 文明の長女・小市草子こいちかやこさんは、『かぐのひとつみ-父文明のこと』で、この橙について書いています。
 橙は、埼玉県安行の清美園という植木屋が持ってきたのを購入したけれども、何年も実を付けなかったそうです。

 植ゑし者を年々貶しめ十幾年かくして成りぬだいだい三顆(『続々青南集』)

 文明は、この橙をたいへん気に入っていたそうです。
 「橙は、次第に丈高く、実も数えきれぬ程成るようになった。窓の橙は、書斎のソファーにくつろぐ父の眼にガラス越しにも先ず入るもので、日々の父のよい友であった。」と草子さんは書いています。

 黄にかはる橙ひとつ窓にして何もせぬ日ぞ安けかりける(『青南後集』)

 100歳まで生きた文明は、親しい人にたくさん先立たれました。特に、妻や長男に先立たれた悲しみは察するにあまりあります。

 ただ一つ下れる去年の橙あり木の実は孤独といふこともなく(『青南後集』)

 文学館にお越しの際は、ぜひ「方竹の庭」の橙をご覧いだだき、文明の生涯を想像してみてください。







令和2年10月10日(土)

2020年10月10日

 文学を尊く思ひはじめし頃の心理が容易に思ひいだせず(『少安集』)
 気短きわれをたしなめしかられし尊き人は死なせ給ひぬ(『ふゆくさ』)

 10月10日から土屋文明生誕130年没後30年記念展「若き日の土屋文明-あまた人々の恵みあり-」が始まりました。
 文明先生は、明治37年から42年まで、旧制高崎中学校に学び、その校友会誌『群馬』に写生文や短歌、俳句を投稿していました。先生の最も早い時期の文学活動です。

 先生の在学当時、私の曾祖父小笠原藤太郎は、高崎中学校に在職し、『群馬』の編集責任者を務めていました。また、大叔父小笠原祐一は、先生の同級生で、『群馬』に、恩師村上成之、文明先生と見開きでいっしょに俳句が掲載されています。
 文明先生が亡くなられた平成2年当時、私は高崎高等学校で国語を教えていました。授業の時間に生徒会長をしていたK君から先生のご逝去を悼んで先生のことを話してほしいと頼まれたのですが、不勉強で通り一遍のことしか話せませんでした。思い出すと、今でも恥ずかしいと同時に申し訳なく思います。  土屋文明先生とのこのような縁を思うと、先生のご生涯とご功績を多くの人に知ってもらえるように誠心誠意努めなければならないとあらためて強く思います。

 今回の記念展は、伊藤左千夫、島木赤彦、岡麓、斎藤茂吉、中村憲吉、土屋文明のアララギ歌人六曲半双屏風の展示、現代を代表する27人の歌人の皆様に土屋文明先生の短歌を選んで批評してもらった特別企画、朝鮮金剛山の歌会で文明先生が詠んだ「金剛山五十首」折帖の特別展示なども用意させていただきました。  コスモスの咲く二子山古墳など、秋の保渡田は特に自然豊かで、落ち着いた時間を過ごせると思いますので、ぜひお出かけください。

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